コーヒー寿司アイデンティティー

その頃僕は、韓国人オーナーが経営するお寿司屋さんでバイトをしていた。

お昼のラッシュが終わり、お客さんがまばらになってくるとオーナーのクウォンさんとよく世間話をする。その日は僕が最近通っているカフェと、そこで働いているバリスタの話をした。

するとクォンさんが

「そこ知ってる。バリスタ知り合いだよ。」

クォンさんはオークランドの中心地に20年住んでおり、ここの土地やコミュニティーを知り尽くしている。だからバリスタと彼が知り合いと聞いても全く驚かなかった。

話題に出たバリスタの名前はフンさんと言い、これまた韓国人だ。

僕の話を聞いた後すぐに、クォンさんがそのフンさんにスマホで電話をし始めた。

仕事中にこうやって電話をしながらお店をウロウロしたり、簡単なことは僕に任せて常連さんと世間話を優先しているのがクォンさんの特徴なんだけど、

20年もこの仕事をやっているから「レジ前で構える」よりも「お客さんとコミュニケーションを取る」方が、たぶん利益を出すために大事なんだろう。

それとも彼の落ち着きのない性格を彼自身が制御できず、そう生きようと決めているだけなのかもしれない。本当のことは分からないが、

「まあクォンさんって、こういうタイプの人だよな」という共通認識が常連さんには伝わっているみたいなのは働いていて分かるから、まあこれで良いのだろう。

電話を終えた彼が、

「カズマさん、次あなたがそこのカフェに行ったら、何かサービスをしてあげてと頼んでおいたよ」と言ってくれた。

こういう対応は何だかこの街のボスという感じがするし、どうやって人々と信頼を築いていくのかよく分かっている人だなと感じた。つまり、僕以外にもこういう感じで人と関係を築いてきたんだろうなと思った。

先程にも言ったようにお昼のラッシュが終わったらほとんどお客さんは来ないので、クォンさんがいつものように何か余っている具材でカレーや親子丼などを僕に作ってくれる。

前日に「カズマさん、明日は何が食べたい?」と聞いてきて「親子丼」などというと、それを次の日に作ってくれる。

ありがたいし、彼自身もそれを楽しんでやっているような感じがした。

料理人であるクォンさんは日本人の僕に対して日本の料理を振る舞おうとしてくれる。

だから、「温泉卵が食べたい。」

と無茶なお願いをしても、目をキラキラさせて

「Onsen Tamago! いいよ!」

と言って次の日にはチキンカレーの上に温泉卵がのった料理を出してくれる。

さらに今日はバリスタのフンさんの話題もあったので、昔僕が働く前にモーニングで使っていたらしいバリスタマシンを洗浄して豆を引いてコーヒーを作ってくれた。

クォンさんからマシンの使い方を教わったり、ラテアートを教えてくれたりして、出来上がったコーヒーを二人で飲んだ。

たまーにお客さんが来ても、

「カズマさん、待ってて俺がやるから。」と言って僕は机で座って待っていることが多い。

たまに自分がここで働いているのか、それともクォンさんの料理を試食したり、世間話の相手をしに来ているのか分からなくなった時もある。

そんなこんなでシフトが終わり、賄いで売れ残った寿司と春巻きと餃子を大量に貰い、先ほどクォンさんからの電話を受けたバリスタのフンさんの元へ向かった。

オークランドのカフェは大体午後3時でお店を閉めてしまうので、急足で向かった。

「こんにちは。いつものラージサイズのラテで」

そう頼むと、フンさんが、

ちょっとこっちにおいでという手招きをし、いつもの黄色が基調で黒い線でキャラクターが書かれているテイクアウト用の紙コップにラテアートを描いてくれた。龍のような、鶴のような、薔薇のようなラテアート。

「いつも紙のカップにはラテアートしないから難しいけど、」

と言っていたが彼はバリスタの大会でチャンピオンになった経験があるのですごく上手かった。描写が細かくて芸術作品のようだった。

多分これが、クォンさんが言っていたサービスなのだろう。

フンさんは奥さんと一緒にここのカフェを経営していて、オークランドで数あるカフェの中で内装が僕の中で一番気に入っている。

床と壁が白いタイルで、入り口のガラスケースに表示されているお店の名前が、白い文字に黄色でハイライトされている。バリスタマシンの横にあるガラスケースに入ったクッキーと小物グッズにも黄色が配色されていて、良い感じでお店全体が白すぎず、黄色でチカチカせず、バランスの取れた配色でお店が一つの芸術作品のようだった。

ちょっと白すぎると病院みたいな、実験室みたいな雰囲気になってしまうけど、黄色の物がチラホラとあたりに設置されていると、空間全体に柔らかみが出て良い。

チャンピオンになった時のトロフィーとか賞状も壁に飾られていた。

韓国人が経営するお寿司屋さんとここのカフェをこの目で見てきて、もちろん他に必要なこともあるのかもしれないけど、「お金に変えることができる技術」、「語学」と「街の人やクライアントからの信頼」があればこうやって移民として新しい国でやっていけるのかもしれない、そこまで難しいことではないのかもしれないと肌で実感することができた。

もちろん僕は彼らの表面的なところしか見てないから、こういうことを言うのは失礼かもしれなかったけど、永遠に手が届かないという訳でもないのではないかと思った。

海外生活を始める前に不安でネットを使って情報を集めていたけど、実際に現地にきて移民としてスタートした人たちを実際にこの目で見て、会話をして彼らとエネルギーを交換したりすると「俺も出来るかもしれない。この人たちができたんだから。」とよりリアルにビジュアライゼーションできると思う。もちろん先ほども言ったように、語られていない大変な時期とかはあるかもしれないけど。

そして誰かのために働くのではなく、彼らのように「自分専用のお店がある」っていうことはとても価値があると思う。

人生の中で何かに落ち込んでも、「自分にはあのお店がある」っていうなにか、その人のアイデンティティーがあるような感じ。

寿司屋のクォンさんの話をして、バリスタのフンさんの話をして、最後にこのような結論に寄ってくるのは、多分これを書いている僕自身にはアイデンティティーのようなものが何もないから彼らのような、生きていく上での支えになる何らかしらの「アイデンティティー」を僕自身が強烈に欲しているのかもしれない。

そしてこの「ホステル日記」を書いているのは、その「アイデンティティー」を僕自身も築きたいという強烈なエネルギーを上手く昇華している過程なのかもしれない。